浅いか深いかも分からぬまま目が覚めた。呑気な頭の鈍り具合から悪くはないのだろうなと遅れて思う。寝ころんだまま大きく伸びをして——生温かい息を口から零した。

 しかし何故だろう、微かに胸に掛かる冷ややかな違和感にレイヴンの眠気が拭い去られる。

 小鳥が窓の遠くで愛らしく鳴いている。寄り添うように仲間が同じ樹に止まり、微かにじゃれあって飛び立っていく。朝日をいっぱいに浴びて。

 違和感が深いのは肺と喉の奥だった。空気に鉛が混じっているかのように重い。意識をしていなければ息が止まりそうだった。

 心臓を無意識に撫でる。寝間着と肌着の隙間から盗み見る。明滅はいつもより速く感じたが、緊張しているが故に当然だろう。どちらにせよ、この機械を見られるのは今あの少女しか居ない。応急処置を施すための知識もない。

 心臓の不良はそう感じなかったため、レイヴンは最も深い場所の調子を探った。

「おはようさん」。試しに寝ぼけていた自分へ声をかける。

 喉や舌が鈍重で、続かぬような音が零れた。嫌な汗がつぅと肌を流れる。汗は首筋に集まり鎖骨へ流れて、無機物の心臓に淀んだ筋を作っていく。心臓に当てている手が無意識に喉へ上った。息が詰まる。呼吸が回らなくなる。身体中の液体が急速に冷えていくように感じた。

「……っ、……っ!」

 なにか、声をかけようとした。出そうとした。上げようとした。しかし実際に出るものは何も無かった。ただ言葉にならぬ息だけが歯の隙間から吐き出されていく。

 レイヴンは喉の奥が張り付き、口の中が酷く渇く感覚に見舞われた。

 言葉。レイヴンは言葉を奪われてしまったのだ。

 いつからということしか分からない。病原体が入り込んだとも思えない。喉の腫れなど存在しなかったのだ。

 ただ、酷く詰まったような感覚だけがそこにはあった。喉に当てた手に力が入る。エアルが回らなくなり思考が鈍る。鳥の声が葉の擦れ合う音が、家の材木が伸びる音が微かに何かが這い回る音が外の街の足音が。音が、音が、音が。

 音の群れが酷く遠くに感じた。どこから発せられていようとも。

「……ははっ」

 これは本当に、亡霊に戻ったのだろう。息の漏れる嘲笑だけは微かな音と成す。それから、深く深く重い息を吸い込んで——それでも空気の七割程しか通らなかったように思えるが——煙草を嗜むように、細く細く口から吐き出した。

 両手を顔で覆い、ベッドの上で背を丸める。安っぽいスプリングが軋んだ。家具ですら音を立てるというのに、亡霊とはかくも情けないのだろう。奪われた声が胸の内からレイヴンを苦しめる。

 レイヴンは彷徨った。

 どことなく抜け出す性分として知られていたことが幸いした。

 弓を持ち街の外を歩いて、時折会う魔物の命を奪いながらどことなく彷徨った。

 レイヴンの射た矢は魔物の喉に突き刺さって絶命させた。何度も、何度も何度も。その度魔物は不快な呻き声を上げて倒れた。レイヴンはさしてそのことを気にしなかった。痛みに呻くのは当然のことだ。

 いつしか、まるでもう一つの顔を被っている時のようだな、と思うようになった。寡黙かつ苛烈な騎士。暫くはずっとあの顔を被っていようかという考えが過ぎる。

 しかしその思い付きをすぐさまに断ち切る。彼もそれなりに会話を交わす必要に迫られていたことを思い出したのだ。

 饒舌な胡散臭い男。嘘に飾られた英雄。男は今、そのどちらにもならなかった。なれなかった。

「とうとう、何者にもなれなくなっちまったかね」頭の中で独りごちることが増えた。

「俺は……今度は何になっちまうんだろうな。この身体は」身体。喋れぬ身体。この心臓も口先も、どこまでも不便なものだった。

 心臓をシャツの上から摩る。変わらずそこは明滅を続けるだけ。ここが沈黙してくれるまでは、ずっとどこの街にも帰れぬまま辺りを自堕落に歩いているだけだろう。

 男は夜の中を彷徨った。