【迷宮在住の野良スライム、ひょんなことから新米冒険者の胸ポケットにお引っ越しする事になる。───スライムに生まれ変わった元勇者の僕が可愛い女の子冒険者に拾われちゃった!?表で可愛がられ裏では無双する充実のスライム生活が始まる!───(前編)】

画像
頂いたファンアートです(ありがとうございます!)

 僕はスライム。多分スライム。

 ダンジョンの壁に張り付き、びょんと跳んでは獲物に張り付く。あのスライム。

 ぶよぶよの粘液で獲物を窒息させたり、酸を吐き出したりして攻撃する。あのスライム。

 初心者冒険者にとっては厄介な相手。でもそれなりに場数を踏んだ熟練冒険者にはいい経験値稼ぎ。そんなスライム。

 …と、そこまで自己紹介したものの、僕は自身の粘膜の体を受け入れられないでいる。具体的には手も足も付いていない状態というものに戸惑っている。スライムなのに。

 どういう事かと言うと、僕には前世の記憶がある。

 実は僕は元々人間で、職業は冒険者だった。しかも勇者という称号付きだった。

 最後の記憶は魔王との戦いの途中で終わっている。相打ちか、敗北か。どちらにしろ人間で冒険者で勇者だった頃の僕は死んだ。

 魔王との戦いのとき、僕は究極極大魔法を撃った。相手の魔力は強大で、長引くとそれだけ危険が増えていくのは分かり切っていた。だから初手から最大火力で攻撃した。

 結果は死亡。

 そしてスライム。

 神様にぜひ問いたい。これは何の罰ですか?…と。

 僕は内面はどうあれ、人間にとってはいい勇者だった。仲間を拒否して一人旅したり、時には討伐対象のモンスターを見逃したりしたけれど、いい勇者だった。

 過程はどうあれ、魔王と戦ったんだからいい勇者だ。絶対にいい勇者だったと断言できる。僕は頑張った。超がんばった。

 なのにスライム。

 気落ちした僕の体がべちゃりと潰れる。まるでバケツからひっくり返ったばかりの水のようだ。

 ちょっとはしたない。

 僕は今にも床に染み込んでいきそうな体に力を入れて、ぷるん!とした丸々ボディを取り戻した。

 スライムというのは、一般的には不定形の生き物だ。見るごとに形を変えて、うねうねと地面や壁を這いまわっている。不気味な外見なので、当然人々からは忌み嫌われている。

 ただ近年は色や形が綺麗なペットスライムが都の方で流行り出している。彼らは体の粘膜、とくに外周膜が強くて、外見を常に丸く綺麗な形に保つことができる。代わりに体の形を自由に変える事ができず、移動はとても遅い。壁を這う事もできないし、酸を吐く事も出来ない。生き物としては弱く、だから一般人が飼っていても危険は少ない。

 僕は生憎ただのスライムなので、ボーっとしていると形が崩れる。なので気合を入れて形を無理やり綺麗なものに整えている。

 やる気になれば触手を生やしたり天井に張り付いたりもできるので、いいとこ取りと言うか、ハイブリッドスライムと言えるだろう。

 人間としての僕は死んだ。でも記憶はあるから、せめて自分自身恥ずかしくないように生きようと思っている。

 …とは言いつつも、実は今はとても恥ずかしい場所にいたりする。

 居るだけで屈辱を覚える。そんな場所だ。

 何処かと言うと、ダンジョンだ。

 強さ的には中級から上級という所だろうか。

 それだけならスライムにとっては何の変哲もない住処なのだが、ここに住んでいるモンスターの性質が厄介極まりないものだった。

 このダンジョンにいる彼らはすべて、淫魔との契約を結んでいた。

 正確には、力ある淫魔が作ったダンジョンなのだろう。僕という例外を除いて、ここに生きるすべてのモンスターは人間の性を搾り取ることで生きていた。

 老若男女、関係なく。

 ここではゴブリンも、オークも、オーガも、もちろんスライムだって性的な意味で人間を襲う。

 名前を付けるなら、『淫獄迷宮』と言ったところだろう。

 命の危険はあまりないが、人生を壊される可能性がある恐ろしいダンジョンである。

 現に今も常連の冒険者がのっしのっしと僕の横を通り過ぎている。

 彼は実力的には中級の冒険者で、禿げ散らかった頭が特徴の筋骨隆々の大男だ。元はとあるパーティの前衛役としてこの迷宮へ来たのだが、モンスター相手との性交ですっかり頭がおかしくなってしまったようで、たびたび一人で来るようになった。

 どうして知っているかって?現場に居合わせたからだよ。

 僕は元人間で勇者だったので、モンスターに捕まってしまっている冒険者がいたら、なるべく手助けするようにしている。

 …手助けはするのだが、例外はある。それは、何度も訪れる中毒者たちの事だ。彼らを見つけたらスルーする。それが今の僕にとっての常識だった。

 何故なら彼らはモンスターとの性交にドはまりして、わざと捕まるためにやって来るのだ。

 それでも最初の頃の僕は彼らも他の人達と同じように助けまくっていた。僕の主観では初めて見る人ばかりだったから当然のことなのだが、それでも長く続けていくとだんだんと気付いてくる。あれ、この人数日前にも見た事あるぞ…?と。

 一度気付くともうダメで、二度、三度と同じ顔ぶれを見つけるごとに、どんどんやる気が減退してしまった。なんせ助けても助けてもキリがない。

 しまいには助けた冒険者にチッと舌打ちされて、僕はすっかり嫌になってしまった。別に彼らを助ける義理はないし、好きに生きてもいいじゃないかと開き直る事にした。

 だから今の僕は、ダンジョンの外を目指している最中なのだ。

 幸い先ほどの冒険者の様子から、出口が近い事はすぐに分かった。もうひと踏ん張りだ、と僕は気合を入れてぴょんと跳んだ。

 えっちらおっちらと出口を目指す。スライムの体は人間と違って長距離を移動するのに向いていないので、ただでさえ体に違和感を抱いている僕には大変な作業だ。

 べちゃりと潰れそうな体をぷるん!と丸くして、少しずつ跳ねて進んで行く。お腹が空いたら、唯一残っていたスキルである『アイテムボックス』から葉っぱを取り出してムシャムシャと食べる。

 スライムは超雑食性だ。食べられないものはないと一般には言われていて、実際に動物、植物、鉱物まで何でも食べられる。あの竜の鱗でさえ、死んだ後はスライムに溶かされてしまう。

 でも個体ごとの好みはある。このダンジョンの中にいる他のスライムは人間の性エネルギーを食べているけれど、僕は元勇者という事もあって淫魔の影響を免れることができている。

 そんな僕が食べている葉っぱは、ものすごく強い聖属性の草だ。迷宮というのは不思議なもので、モンスターが出す瘴気を餌に、たまにまったくの正反対の属性を持つ植物が生えることがある。そう言った草は総じてレアで、薬草採取専門の迷宮冒険者もいるくらいだ。

 この草も名前は知らないが、何かの薬の元になったりするのかもしれない。スライムに生まれ変わった僕がオロオロしていた頃に、無意識にムシャムシャしていた命の恩草でもある。

 食べるたびに聖なる力が湧いてくる。僕はこの草が大好きだった。

 ちなみにモンスターであるスライムだが、聖属性のものも問題なく受け入れられる。食べたモノによって進化先も変わり、様々なスライムに派生していくのだ。

 今の僕はさしずめホーリースライムと言ったところだろうか。前世の記憶と言うアドバンテージがあるので、聖属性の魔法も新たにいくつか使えるようになっている。

 だから他のモンスターと遭遇しても問題ない。実際にこの体でたくさんの冒険者を助けて来たし、人間相手でも負けはしないという自負がある。

 生活する上でも便利だと思う。攻撃手段は少ないけれど、回復もバフもできる聖魔法があれば食いっぱぐれる心配はない。

 ───このダンジョンを出たら頑張って変化のスキルか魔法を覚えて、人間として生活して行こうかな。

 もう僕は勇者ではないので、好きな事をして好きに生きることができる。そう考えると、死んで生まれ変わったこともそんなに悪くないのかもしれない。

 僕は前向きに考えることにして、更に一歩を踏み出した。曲がり角を慎重に曲がって、そして光が見えてくる。

 出口だ…!

 僕はその場で大きくぴょん!ぴょん!と飛び跳ねた。嬉しさのあまり、ついついはしゃいでしまった。

 新米冒険者じゃないんだから、きちんと最後まで慎重に行かないと。

 心を落ち着かせていると、光の先にチラリと人影が見えた。また冒険者がやって来たらしい。

 僕は喜びに水を差されたような気持ちになって、少々ムッとしてしまった。絡まれるのも嫌だったので、物陰にこっそりと隠れて様子を伺う。

 その冒険者は、どうも様子が変だった。一人なのでモンスターとの性交目当てなのかと思ったが、色欲に落ちた彼らとは雰囲気が違う。多少おっかなびっくりではあるが、元気溌剌!という動きだった。

 近づくと更に変な事に気が付いた。その子は若い女の子で、装備もすごく貧弱だった。まるで村から出たばかりの、冒険者になりたての子みたいだ。

「ほんとにここで、合ってるのかな…?」

 ちょっと不安そうな独り言が聞こえてきた。もしかして、迷宮を間違えてる…?

 心配になった僕は、思わずその子の前に飛び出していた。

「ふぁっ!?」

 女の子がビックリしたような声をあげる。岩の隙間からいきなりモンスターが現れたのだから仕方ない。

 仕方ないが、熟練の冒険者とはまったく違う反応に更に心配になってしまう。

 やっぱり彼女は何かの間違いでここに来てしまったんだろう。確信を得た僕は、警告の意味を込めてぴょんぴょん跳ねまわる事にした。

 ───きみ、ここは若い女の子が来るようなダンジョンじゃないよ!

 スライムには声帯がない。だからボディランゲージしか危険を知らせる方法がない。

 という訳で僕は跳ねた。とりあえず女の子の目の前で何度も跳ねた。具体的には進行方向を邪魔するように反復横跳びで跳ねまくった。

 ちょっと気合を入れすぎたせいで、擬音語で表すとぴょん!ぴょん!を通り越して、シュッ!シュッ!という音になっていた気がする。もうこれはただの反復横跳びではなく、スーパー反復横跳びと言っても過言ではないだろう。

 そんな風に土埃を上げながらスーパー反復横跳びをしている僕を、女の子は呆気にとられたような目で見ている。

 ───このスピード感。常人なら目で追うのがやっとのはず。モンスターの危険性が理解できたかな?さぁ、帰るんだ…!

 そんな警告の念を込めながらゴムまりのように跳ね散らかしていると、何を思ったのかその子は無防備に両手を差し出してきた。

 もしかして、僕を捕まえようとしているのだろうか?だが僕はそんじょそこらのスライムではない。なにせ元勇者である。

 シュッ!シュッ!反復横跳びを続行する。

 けれど女の子は手を差し出したまま、動こうとしない。

 僕は訝しりながらも、微妙に位置を調整しながら跳ね続けた。万が一にも女の子の手に当たったら大変なので、細心の注意をはらいながら。

 こんな早さでぶつかったら、きっと大事故になってしまう。具体的にはペチッという感じじゃなくてベチイィィン…ッッ!!という感じで衝突してしまうに違いない。

 そうなったら彼女の両手が可哀想だ。僕は彼女の手をジッと見た。何も装備をしていない、素手のままの手を。

 そう、あんなにツルツルとして、柔らかそうで、いい匂いがしそうで、飛び込んだら絶対に気持ちが良さそうな手のひらを…。

 ……。

 …………。

 ………………。

 ───はッ!!

 …気付いたら。

 そう、気が付いたら。

 僕の体は彼女の手のひらの上に収まっていた…!

 ───い、いつの間に…!?

 まるで空から落ちてきた鳥の羽を掴むように、もしくはしたたる水を掬うように、僕の体が柔らかい手のひらで覆われている。

 驚愕していると、女の子が指の先でよしよしと撫でてきた。

「かわいいスライムさん。怖がらなくても大丈夫だよ」

 僕はそれを甘んじて受けながらも呆然とした。

 今の僕は相当なスピードで移動していたはずだ。なのにどちらもダメージはない。それは女の子がすべての衝撃を受け流したから……という事に、なるのではないだろうか?

 釈然としないが、そうとしか考えられない。いや、でも本当に?

 まだどこか納得がいかずに悩んでいると、女の子が優しい声で話しかけてきた。

「小さいけど、とっても綺麗なスライムさんだね。もしかして誰かの飼いスライムなのかな?飼い主さんはたぶん冒険者…だよね」

 そう言うと、きょろきょろと周りを見回している。近くに人がいないか見ているのだろう。

 僕はその間もうんうんと考え込んでいた。とりあえず彼女が実力者だったと仮定して、この先の選択肢は2つある。

 当初の予定通りこのままダンジョンを出るか、彼女の迷宮の攻略に付き合うかだ。

 彼女が普通の冒険者なら、さきほどの僕は彼女の進行を邪魔しただけだ。それは冒険者の権利の侵害で、あまりしてはいけない事である。

 本来なら僕はこのままぴょんと彼女の手のひらから降りて、出口を目指すべきなのだろう。

 この温かい手のひらから降りて…。

 降りて……。

 なんとなく躊躇していると、カランと小さな石が転がる音がした。

「!」

 女の子から緊張が伝わる。見れば小さなモンスターがこちらに接近しようとしていた。この迷宮の中でも最弱の魔物、コボルトだ。

 彼らは弱いが気配を隠すのはとても上手い。中級冒険者でも油断しているとやられる相手だ。

「スライムさん!ちょっとゴメンね!」

 女の子は片手で大ぶりのナイフを抜くのと同時に、僕の体を掴むと暗くて狭い場所に押し込めた。

 暗くて狭くて柔らかくていい匂いがして、とても気持ちがいい『なにか』に全身が包まれてしまう。

 ───!?!こここ!これはまさか…!?

 僕が現状の真実に気付きかけてプチパニック状態に陥っている間に、女の子はコボルトと戦闘に入っていた。

「お、お母さんと練習したからきっとだいじょうぶ、なはずっ!ほっ、やっ、えーいっ!」

 少々気の抜けたかけ声とともに、女の子がコボルト相手に奮闘する。地面を踏みしめ、剣を振り、素早く体勢を整えて。そうして、また地面を踏みしめて剣を振る。

 暗くて狭い場所に押し込められた僕は、彼女の様子を外から見ることはできない。

 けれど僕には分かる、女の子の動きが。何故かと言うと、彼女が動くと同時に僕を取り巻く環境も目まぐるしく変わっていくからだ。

 地面を踏みしめると同時に僕の体が柔らかいものに沈み、剣を振ると同時に僕の体が浮かび上がる。たまに布にむぎゅっとぶつかったり、柔らかい『なにか』のスキマに挟まったりする。

 ───わーーっ!!わーーっ!!

 僕は状況把握に努めつつも、心の中では叫び声をあげていた。悲鳴なのか、歓喜の声なのか、もう僕自身にも分からない。

「はぁ、はぁ…っ」

 目まぐるしく動いているからか、女の子の息があがってきた。僕のいる柔らかい場所もしっとりと湿ってきて、下からはドクドクと心臓の音が聞こえてくる。

 …柔らかい場所とか、心臓の音とか。さっきから回りくどい表現をしているけれど、もう自分がどんな場所にいるのか分かっている。

 さきほどの彼女はとっさに僕を服の下に匿っていた。そして今の僕は、どうしてか彼女の胸の谷間に挟まっていた。

 …胸の!

 谷間に!

 挟まっていた!

 なんかこう、彼女が動いているうちに、そうなってしまったのであるッ…!!

「たぁーーっ!」

 ───うわーーーっ!!?!?

 彼女が両手で剣を降りかぶると同時に、かつてないほどの質量が両脇から僕の体を押しつぶそうとしてくる。質量と言うか、おっ◯いと言うか。

 すごい。僕はいま、一気に大人の階段を上がってしまっている…!!

 淫獄迷宮で生まれたスライムの僕だが、とんと女体には縁がなかった。何故かと言うと、ここへ来るのはいかつい兄ちゃんかいかついおっさんが殆どだからだ。

 若い女性が好き好んで貞操が危険に晒されるようなダンジョンに来るだろうか?答えは否である。

 僕の頭に、勇者として過ごした日々が流れてくる。

 ───勇者であるならば、清廉潔白であれ───

 国からの指示を忠実に守っていた僕は、夜の店などには見向きもせずにモンスターと戦う日々を過ごしていた。

『お兄さん、パフパフしていかない?』

 なんて綺麗なお姉さんからの客引きに遭遇したこともあったが、僕はいつもクールに断っていた。

 内心はものすごくドキドキしていた。

 勇者と言っても、そこは思春期の男子。本当はそういう事にとてもとても興味があったのだ。

『お兄さん、パフパフしていかない?』

 この言葉にもし『うん』と頷いていたら。お姉さんの後について行っていたら。僕はどんな体験をしていたのだろう。

 正直いつも妄想していた。

 その妄想が、現実のものになっている。いや、むしろ妄想のはるか上を行っている。

 僕が想像していたのは、お姉さんの豊満な胸で顔をパフっとされるくらいである。実際はパフっどころかパの字すらない無味乾燥ぶりだったのだが、今のこの状態はどうだ。

 ちょっとやぼったい、けれどメチャクチャ可愛い女の子の胸で全身がパフパフされているのである。

 これはもう究極のパフパフ。『─†アルティメットパフパフ†─』と言っても過言ではないだろう。

「きゃあっ!」

 そんな事を思ってドキドキしていると、ガラッと大きな石が崩れる音と一緒に、女の子の悲鳴が聞こえてきた。

 ───はっ、まずい!!

 僕はとっさに彼女の胸の谷間からすぽんと脱出し、服からも飛び出し、高く空中に飛びあがった。そうして、一瞬で現状を把握した。

 コボルトと女の子、両者ともに目立った外傷はない。けれど女の子の方は足を踏み外して大きく体勢を崩している。そしてコボルトは今まさに彼女を組み敷こうとしている───!

 再三言うが、ここは淫獄迷宮である。住んでいるモンスターは人間を攻撃するよりも性的に襲う方を優先する。

 それは命の危険は少ないが、死んだ方がマシくらいの目に合わされるという事である。少なくとも、若い女性が耐えられるものではない。

 僕は飛び上がった勢いのまま、洞窟の天井に張り付き、ゴムまりのように勢いをつけて自身の体を射出した。狙いはもちろんコボルトだ。

 ベチイィィン…ッッ!!という音と共に、僕の体がコボルトの腹にぶち当たる。

「ギャンッッ!!!」

 けたたましい悲鳴を上げたコボルトが、よだれを垂らしながらどさりと倒れる。咄嗟だからそんなに攻撃力は出なかったけれど、どうやら戦闘不能にできたようだ。

「……えぇ?」

 ぽかん、という感じで女の子が声をあげる。彼女は何とか体勢を立て直し、はぁ、はぁと息を弾ませながら、僕とコボルトを交互に見た。

 やがてコボルトが起き上がって来ないことを確認すると、息を整えながら大ぶりのナイフを仕舞い、気の抜けたような、安心したような笑顔になった。

「スライムさん、助けてくれたの?」

 ───ま、まぁね。

 勇者だった頃はいくらだって人を助けたし、お礼を言われたことは一度や二度ではない。

 けれどこの時の僕は何だかとっても照れてしまい、ぽいんっ!と跳ねてそっぽを向いた。

 ちなみに今の僕はまん丸なので、女の子側からはどちらが正面か分かっていないと思う。

「ありがとう、スライムさん」

 お礼を言われて、チラッと振り返る。すると女の子は両手をこちらに差し出していた。

 吸い寄せられるように、ぽんっ!と跳躍して柔らかくて温かい手のひらに着地する。ほとんど無意識の行動だった。

 僕は気が付いた。彼女は別に実力者という訳ではない。たぶん見たままの初心者冒険者だ。

 先ほどの僕は彼女に捕まえられたのではなく、フラフラと誘われるように、自分から彼女の手のひらに乗ったのだ。

 ───もしかして、きみ、テイマー?

 だからこんなに惹かれてしまうんだろうか。僕はジッと女の子の姿を見てみた。

 やっぱりちょっと野暮ったい。いかにも田舎でのびのびと育ちましたという雰囲気だ。

 太い眉に、よく日に焼けた肌に、ピョンピョンと跳ねた赤い髪。あんまり手入れはしてなさそうな感じだ。

 でもキラキラとした碧の目と、口角の上がった優しそうな表情は魅力的だった。何より僕を柔らかく包み込む手のひらはとても心地いい。

「やっぱりきみ、冒険者に飼われてたんだよね。人間に慣れてるし、助けてくれたし。そのガラス玉はおしゃれか、首輪代わりなのかな?とっても似合ってる」

 女の子がふにふにと指の腹で撫でてくる。こそばゆくなってぷるりんっ!と震えると、彼女は楽しそうに笑いだした。

 勘違いされているが、僕の体にはビー玉なんて入っていない。でも『核』ならある。

 核はスライムなら誰しもが持っているもので、人間で言う脳や心臓のように重要な器官だ。

 五感のすべては核を通じて感じるもので、僕が周りを見る事も匂いをかぐことも出来るのも核があるからだ。小さなスライムだと目に見えないほど小さいが、強く大きくなると相応に育ってくる。

 僕の体はまだまだ小さく、オレンジよりもなお小さい。たぶんレモンと同じくらい。

 それなのに見て分かるほどの大きさの透明な玉が入っているので、女の子は装飾品だと思ったんだろう。

 ちなみに僕の体の色は透明な若草色で、核の色は青色だ。核は僕の体色の影響で一見すると濃い緑色のビー玉が入っているように見える。正直に言って、とても綺麗なスライムだと思う。

 このダンジョンには鏡なんてないけれど、助けた冒険者のピカピカの防具でチェックしたから知っているのだ。

 僕が女の子の手のひらの上でコロコロ転がりながら自画自賛していると、休憩を終えた彼女がふーっと長い息を吐いた。

「よし、先に行かなくちゃ。今度は用心して進まないとね。スライムさんは…。危ないから、ここで飼い主さんを待ってる?」

 問答無用で僕を連れて行くこともできるだろうに、女の子は僕を尊重してそっと地面に降ろしてくれた。固くてゴロゴロした岩の感触は彼女の手のひらの上とは雲泥の差だ。

 見上げると、キリっとした意思を込めた面持ちの女の子が見える。彼女がどうして淫獄迷宮に来たのかは知らないけれど、何かしらの事情があるんだろう。

 まぁ、まだダンジョン自体を間違えている可能性を否定できないけれど…。

 僕が心配のあまりぴょいっと小さく跳ねると、女の子は目を和ませて手を振ってくれた。そして意識を失ったままのコボルトを迂回して、慎重に先へと進んで行った。

 ……。

 …………。

 ………………。

 小さくなっていく女の子の後姿を見守ったあと、僕は一度振り返って洞窟の出口を見た。

 明るい光が差し込んで、まるでこっちに来なよと誘っているようだ。

 事実、あそこを抜ければ久方ぶりに外の景色を拝めるんだろう。そうしたらこんなサイテーなダンジョンなんて忘れて、勇者としての責務も忘れて、好きに自由に生きることができる。

 だけど僕はもう決めていた。

 ぴょんっ!と大きく跳ねて、女の子の後姿を追いかけていく。洞窟を出ようとしていた時よりも、力強く。

 ぴょんっ!

 ぴょんっ!

 一回跳ねるごとに彼女の後姿が大きくなる。最後にぴょーんっ!と大きく跳躍して、僕は彼女を追い越した。

「きゃっ」

 ビックリしたような彼女の声。ぽよんと振り返ると、綺麗な碧の目をまん丸にしたとっても可愛らしい顔が見えた。

「スライムさん?」

 きょとんとした声に答えるように、真上にぽんっ!と飛び跳ねる。もう彼女の進行の邪魔はしない。けれどその代わり、自分も連れて行って欲しかった。

 ぽんっ!ぽんっ!何度か飛び跳ねて、彼女の様子を伺ってみる。

 彼女はしばらく戸惑った様子だったけど、僕の意思が伝わったんだろう。少し笑ったあとに、両手を差し出してくれた。

 柔らかくて温かい、居心地のいい手のひらをこちらに向けて。

 ぽんっ!

 真上ではなく前に飛び跳ねて、彼女の手のひらの上に着地する。

「わたしと一緒に来る?」

 もう分かっているだろうに、きちんと確認を取ってくれる。彼女のそんな律儀なところが好ましくて、何だかとても嬉しくなって、僕はコロコロ転がった後にぽよんっ!と跳ねて返事をした。

 ───了承の合図だよ、分かってくれる?

 僕の心が伝わったのか、彼女が嬉しそうに抱きしめてくれる。とは言っても僕はとても小さいので、胸にそっと押し当てられただけだ。

 先程の『─†アルティメットパフパフ†─』を思い出して、体がふにゃふにゃと崩れそうになる。このごわごわした服の下に存在する、スライムボディを凌駕するほどの魅惑の感触…。

「スライムさん。ここから先は危ないから、わたしの胸ポケットに隠れていて。ちょっと狭いけど、大丈夫かな?」

 ───!む、胸ポケットだって!?

 彼女の言葉にビックリして、崩れそうだった形がぷるんッ!と丸くなる。

 それはごわごわとした冒険者服と、スライムボディを凌駕する魅惑の感触の、ちょうど真ん中という事である。

 まだ経験値が低く、さりとてちょっぴり刺激が欲しいお年頃の僕にはピッタリのプランに思える。

 ───大丈夫だよ!めちゃくちゃ大丈夫だよ!

 僕は大賛成した。ぴょいぴょいと跳ねて、賛成の意を表した。あまりに興奮しすぎて手のひらから転がり落ちそうになりつつも、彼女の提案を全力で支持しまくった。

「ふわわ、危ないっ。あのね、イヤじゃなければ、ここに」

 彼女は暴れ出した僕に手を焼きながら、胸ポケットを広げて見せてくれた。

 服の上からでも分かるふくらみ。艶めかしくカーブした胸ポケットの中を覗き込むと、何も入っていない暗い空間が広がっている。

 安らぎに満ちた暗闇が、まるでこっちに来なよと誘っているようだ。僕は抗うことなくススっと移動して、いそいそと胸ポケットに入り込んだ。

「すごいね、まるで言葉が分かってるみたい」

 いい子だね、というように服の上から撫でてくれる。僕は下からのふくらみに圧迫されつつも、心地よい狭さと彼女の服越しの指に酔いしれた。

 ───僕はこの為に生まれて来たのかもしれないな。…永住の地、決定!

 記念すべきこの日。

 たとえ彼女にその気はなかったとしても、僕の住所は淫獄迷宮から彼女の魅惑の胸ポケットに永久にお引越しを完了したのだった。