「神に、なりたいのデスか?」
呻く目の前の無形の異形に言葉を投げかけた。飢えたように繰り返される言葉はまるで渇望を示していた。
「ぼくは神だ」「僕こそが神だ」「従え」「従え」「従え」――。
耳障りな声が脳を舐め回す恨み言を吐く。その声に屈するでも不快感を表層に揺るがせるでもなく、ただ一言。村正は緩やかに引いた笑みを浮かべ穏やかに問い掛けた。涼やかな切っ先を闇へ向けたまま。
蠢く闇が答える。
「僕は神だ」「なりないとかじゃない。もう、既にそうなってるんだよ」
その言葉にも村正は笑みを崩さない。ただその目は憐憫に満ちていた。
それはただの力の塊であった。噂に造られた悪魔であった。力はあった。人々にまことしやかに囁かれるだけの信仰もあった。しかし、嘘も神としての力を得ることは、自らもよく知っている。
「ぼくは」
神が膿む。卵の殻を握り潰すような音が立つ。
「ぼくは」
それが産まれようとしている。それとも産まれているのか。風がおぞましく渦巻く。村正の髪が微かに内側へと巻き込まれる。
「僕は神だ」
そんな風に口にしたのだろう。原型のない言葉が叫んでいた。歪ませてすら渇望する声だった。闇が、ついに形を顕にした。
「……huhuhu」
村正の目に写るは、変わらずも憐憫だった。小さく息を吐き、鮮やかに空気を蹴り上げ、狂いなく闇の中へ刃を振るった。べしゃり。血液とも肉とも言えぬ油のような黒い塊が地面へ飛び散った。
痛みを覚えた闇が叫ぶ。おぞましい絶叫が響き、もがくように形を変え、何か誰かに似た細く小さな手首を大きな手を上げ、長く尖った髪を振り乱し、何かの名を不明瞭な音に塗れて呟いていた。何処かで見たような見なかったようなそれは――溺れながら沈んでいった。かの依代にとても似た死に様だった。
「……哀れデスね」
振り返って一言だけ吐いた。
妖刀。悪魔の刀。噂の形が村正を彩っていた。ともすれば村正も「彼」のようになっていたのかもしれない。
しかし、村正は彼のようにはならなかった。決して落ちぶれることはなく生きていた。
彼には妙な点があった。まるで初めからそう求められていたかのような。自らが戦いのための刃として創られたように、彼はまるで悪い噂から造られたように村正は感じるのだ。
「考えても仕方ありません。また現れぬように……確りと見張っておかなければ、ね」
村正はゆっくりと刀身を鞘へ収めた。このような物思いに耽るとは深入りし過ぎてしまったのだろう。仲間だと思い込みかけて留まる。
彼と、奴と己は違う。奴は噂を一身に引き受け過ぎた。成すこともりも先に人々の想像に弄ばれ過ぎた。
人々の妄想が、恐怖や空想が、アレを形作っていたのだろう。彼もまた、造られた悪魔だった、というわけだ。
本丸で主が村正を待っている。そろそろ帰らねば身体を休めることもできないだろう。物思いを断ち切り、村正は徐に歩き出した。明け出した東に向かって。
たとえ何と囁かれようとも何も成さぬものは、やはりただの力であり異物であり、人々の空想でしかない。
あの幼き異形と二度と対峙せぬこと、遭遇せぬことを祈りながら、村正は迎えの門へ脚を掛けたのだった。