【迷宮在住の野良スライム、ひょんなことから新米冒険者の胸ポケットにお引っ越しする事になる。───スライムに生まれ変わった元勇者の僕が可愛い女の子冒険者に拾われちゃった!?表で可愛がられ裏では無双する充実のスライム生活が始まる!───(番外編おまけの△△視点)】

その③【魔王ケレス】

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頂いたファンアートです(ありがとうございます!)

「ケレス陛下。それでよろしいでしょうか?」

「ん、よろしく頼む」

 部下の報告を受けて、問題はなさそうだとそのまま頷く。それで午前の業務は終了になった。

 りぃん、と鳴る鈴の音に、いっきに執務室の空気が弛緩する。

「あー、終わったぁ」

「陛下、はしたないですよ」

 机に腹ばいになる俺に、部下のひとりが躊躇なく注意してくる。

「俺は重症人だぞ。もっと労わってくれてもいいじゃないか。…あ、お茶請け持ってきて」

「重症人ならそんなに元気よく伸びは致しません。…陛下、こちらをどうぞ」

 コトンとテーブルの上に置かれたのは、俺の大好物の魔石だった。

「おお、秘湯に漬けた赤の魔石。管理人はよくやっているみたいだな。食べるはしから染み入るこの灼熱の魔力がたまらないねぇ」

「親父くさいですよ。新たに任命した若者はよくやっているようです。山小屋の管理も真面目に行っているようですから、いつでも湯治に行けますよ」

「落ち着いたら今度行くかぁ。とりあえず管理人には特別賞与を与えてやろう」

「個人で出してくださいね」

「予算から出してくれないのかよ、ケチだねぇ」

 パクパクと最上級の魔石を食べながら、特に何の生産性もないだらだらとした無駄話に花を咲かせる。

 別に魔王と言っても、一部の人間が言うような残虐で暴虐で悪逆で……あとは何だったか。まぁ何にせよあらゆる悪という悪を煮詰めたような存在じゃない。

 むしろその逆で、それなりに頭がよくて辛抱強くないと努められない役職だ。

 現に歴代の魔王は多少の違いはあれど、もれなく国に滅私奉公するような気質の魔族が選ばれている。初代魔王であるゴブリン王からしてそんな魔族だったらしいので、魔王になる為の最低条件のようなものだ。

 そんな話を聞くたびに、この国の生まれじゃない俺が魔王に選ばれたのは何かの間違いなんじゃないかと思う。

「もう少し要りますか?」

「おう。…んぉ、今度は黄の魔石。びりびり来るねぇ」

 パリパリと魔石を齧りつつ、どうしてこうなったのかを考える。

 思い起こせば数十年前。この国に滞在して遊んでいた時に、たまたま前魔王だったババァ共と知り合ってしまったのが運の尽きだった。ちなみに代々の魔王は世襲制ではなく指名制で、指名権を持っているのは歴代魔王のみだ。

 一番年長のババァいわく、「あなたならば偉大なるゴブリン王の再来となりましょう」という事だったが、ニヤニヤと目が笑っていたのでどれくらい本気だったのかは分からない。たぶん俺の正体がゴブリンと並び称されるほどの下級の魔物だったので、それにかこつけてただ揶揄いたかったんだろうと思っている。

 とにもかくにも、それから何度も反発や逃亡を繰り返したり説得されたり叱られたりしつつ、最終的には全面的に降伏して、今は大人しく魔王の座に収まっている。

 魔王となってからそれなりに時が経った。分かりやすく偉大な功績はないのだが、そこそこ平穏に国を経営できている。……はずだった。数か月前までは。

「陛下。こちらもどうぞ」

「んー…」

 今度は緑の魔石をグミグミと噛みつつ、体の中がスッキリしていく感覚を楽しむ。けれどまだまだ満足せず、同じような刺激を無尽蔵に欲しがっている自分がいた。

「これだけで予算なくなりそう。大丈夫なのかこれ」

 さすがに少し心配になって、懸念が口をついて出てしまう。すると今まであれだけ辛口だった部下が、さらに青の魔石を差し出しながら首を振ってきた。

「必要経費です。勇者の襲来を受けたんですよ、あなたは」

「あれだけ重症人じゃないと言っておいてさ」

 文句を言いつつ、出された魔石は嬉しいのでさっそく手を付ける。青い魔石は口の中でとろりと蕩けて、体を潤いで満たしていった。

 キラキラと光る青の魔石を見ていると、連想して思い出すものがある。

「今頃あいつはどうしているかな」

「あいつとは?」

「あいつだよ、あいつ。ほら……ゆうしゃ」

「ああ、『あれ』ですか」

 ただでさえ愛想のない部下の声が一段と低くなる。ムリもない。いまの俺は魔王でありつつ重症人だ。最高級の魔石をどれほど消費しても追いつかないくらいの痛手を受けている。

 どうしてかと言うと、勇者に吹っ飛ばされたからだ。

 …今思い返してみても胸糞悪いのだが、人間が送り込んできた勇者は、青年になりかけの子どもだった。


 今代の勇者が活動を開始した、という情報はあらかじめ掴んでいた。

 人間の国王に称号を与えられ、地元で地盤固めをして、いよいよ旅に出たという所まできっちり把握していた。

 その後の勇者の行動は、勇者の人となりや任命された使命によって異なってくる。

 ひたすら人助けをする勇者もいれば、ひたすら魔物退治をする勇者もいる。ついでにひたすら先を急ぐ勇者もいる。

 目的が魔王打倒なのか、それとも和平交渉なのか。それも勇者によって違ってくる。今代の勇者はどうだろうかと、俺は呑気に思っていた。

 まだまだ魔国には遠い場所で、勇者は人助けをしながら旅をしていた。時には魔物退治をしたり、時には小さな迷宮に潜ったり、時には町に何日も滞在したりして、ゆっくりとした時間を掛けて近づいていた。

 少しでも危険なそぶりを見せればすぐに討伐令を敷いてやろう。逆に和平交渉ならこっそり特使を向かわせてやろう。

 そう考えていたというのに。

 何をどうしたのか。気付けば勇者は魔王城にいた。

 長距離を移動するには普通は強力な目印が必要になる。それは魔法陣だったり、自らの魔力を込めた魔道具だったり、血肉を分け与えた使い魔だったり、色々だ。

 けれど勇者にはそんな目印はないはずだった。裏工作で転送用の魔道具を魔王城に紛れ込ませようとしても、ヘンな魔力を発するものがあればすぐに俺が気づく事ができる。

 なのにいた。

 そこにいるのが自然なことのように、城の中枢に勇者がいた。

 今にして思えば、勇者にはすさまじいまでの空間系魔法の素養があったんだろう。それこそ超長距離の移動を可能にするくらいに、他の追随を許さないような才能が。

 勇者の気配に気づいた俺は、すぐに部下たちを避難させた。遠くから監視していた限りでは、勇者は粗暴なタチではないようだったが、魔王の直接の部下ともなれば無事でいられる保障はない。

 勇者が近づいてくる。目くらましの魔法を使って、ゆっくりと近づいてくる。

 俺は執務室から玉座に移動して勇者を待った。勇者は俺の場所が分かっているようで、足を止めることなく向かってくる。

 扉が開いて、勇者が部屋に入ってきた。

「初めまして、魔王」

 律儀に挨拶する勇者は、まだ少年の面影を残す子供だった。黒髪に、少々きつい眼差しの黒目。ほんの少し日焼けした肌は、彼が今まで過ごしていた冒険の日々を写し取ったようだ。

 初めて真正面から見た少年の顔は、まっすぐな、誠実そうな印象を受けた。

 けれど話をする為に来たわけではない事は、そのみなぎる魔力の高まりから分かった。

「勇者エラン。国王からの命を受けて、あなたの命を頂戴しに来た」

 律儀な宣言。

 俺は勇者の言葉に応えるように、静かに玉座から立ち上がった。

 そうして、勇者との戦いが始まった。

 正直に言うと、この時の俺は勇者との戦いを長引かせるつもりはなかった。できるだけ早く勇者を倒して、早く業務の続きに戻ろう。そんな事を考えていた。

 勇者も同じ考えのようで、持っている剣でこちらに切りかかりつつ魔力を高め続けていた。

 恐ろしいまでの精密な魔力操作。広範囲の究極魔法を撃つつもりだ、と俺は推測した。火か、雷か、それは分からないが、どちらにしろ既存の魔法では火力が足りない。だから勇者は俺を倒しきれるよう、魔力を上乗せ続けている。

 そこまで分かりつつも、俺はまだ落ち着いていた。どれだけ強力な魔法を撃たれたとしても、生き残れる自信があったからだ。

 俺の耐久力は歴代魔王の中でも群を抜いている。柔軟な毛皮も強靭な皮もない下級の魔物出身ではあるが、しぶとさは前魔王たちの保証済みだ。

 勇者が究極魔法を撃った後、必ず隙ができる。そこを攻撃して無力化しよう。そう考えていた。

 結果として、勇者との戦いはすぐに終わりを迎えることになった。

 いや、あれを戦いと言っていいのだろうか。

 勇者が呪文を唱える。

 俺はそれを聞いた瞬間、何かの間違いかと思った。

 油断せず、まっすぐな眼差しでこちらを見ている勇者の目。それは魔法を撃ったあとのことを、未来のことを考えている目だった。

 けれど聞こえてきた呪文は───。

 魔力が膨れ上がる。指向性を与えられ、爆発的に膨れ上がる。

 俺は初めて恐怖を覚えた。

 勇者が唱えたのはこの場の何もかもを塵にし得る唯一の手段。

 自爆の魔法だった。

 本能的に、このままでは城ごとすべてを破壊されると分かった。まだ城中には避難しきれていない部下たちもいる。小間使いや下働きの者たちも含めればかなりの人数が残っている。

 俺は今までの余裕をかなぐり捨てて、すべての擬態を解くことにした。

 壁や、床や、柱や、果ては繊細な細工を施した彫刻など。魔王城を構成するほとんどの物質は、長年の時間をかけて俺の体に置き換えていた。

 そのすべてを俺の本来の体に戻し、全力で防御する。避難していた最中の部下たちを外へ外へと押しだし、間に合わなければそれぞれの体の周りに『核』を集めて守りを固める。

 他の数万、数十万の核は中心へと集まり、勇者の魔法を何とか抑え込もうとした。

 けれど駄目だった。勇者の肉体は目の前で弾け、恐ろしいまでの爆発が発生した。その一瞬の事は目に焼きついている。思い出したくもないが、忘れられない光景だ。

 爆発の中心にいた俺もただでは済まなかった。数万の核たちが巻き込まれ、本体も大部分が抉れ、俺の魔族としての体も消滅してしまった。

 唯一良かったことは、部下の誰も怪我をしなかったことだろう。

 満身創痍になった俺は、それでも残った核を使って魔族としての体を作り直すことができた。

 意識が朦朧とする中、部下たちが駆け寄ってくる。

 俺はやつらを守れたことにホッとして、爆発の余韻で煙を上げている地面に座り込んだ。

 そうしてギョッとした。

 何故かと言うと。

 俺の足元に、俺そっくりの小さなスライムがいたからだ。

 正体不明の小さなスライムは、もぞもぞとか弱く動いていた。

 もしかして、俺が産み落とした?

 俺はあせって、小さなスライムをとっさに手のひらで覆って隠した。

 魔族としての俺は男として生活しているが、スライムはもともと雌雄同体の魔物だ。核を子種に加工して他のメスの胎に入れれば父親になり、自分の体内で育てれば母親になる。

 そしてここは重要なのだが、生まれた子供は母親に似てしまう。なのでスライムから生まれた子供は母親そっくりに生まれる事が多い。

 俺はチラッと手のひらを覗き込んでみた。

 もぞもぞと動く小さなスライムは、色味も形も俺そっくりだ。たぶん他の種族が見たら全然違うように見えるんだろうが、スライムである俺には分かる。

 めちゃくちゃ俺に似てる。まずい。

「ケレス陛下!大丈夫ですかっ!」

「お、お、おう…」

 部下が話しかけてくるが、俺はもう気もそぞろになっていた。体の大半を吹き飛ばされて立てないくらい弱っているのに、頭の中はこの小さなスライムをどうしようかという思いでいっぱいだ。

 勇者との戦いの最中で産気づいたとか、そんなこと部下に知られたくない…!

 知られたら恐らく数百年は笑われてしまう。もしかしたら数千年単位で語り継がれてしまうかもしれない。

「勇者はどうなりました?」

「え、ゆ、ゆうしゃ?ゆうしゃは……ッて、ちょ、まて」

 部下の言葉にしどろもどろに答えようとしていると、何に反応したのか小さなスライムが手の中でぴょっ!ぴょっ!と暴れだした。

 そして指の隙間からすぽんとすり抜けると、そのままぴょーんっ!と空高く跳躍した。生まれたばかりなのにやんちゃすぎる…!

 部下の目線が小さなスライムに一斉に集まる。

「ケレス陛下、この子は…?」

 問い詰める部下の声に、追い詰められた気になった俺はとっさに口を開いた。

「俺の子じゃねぇからっ!!」

 今思えば、割と最低な事を言ったかもしれない。本当の子どもだったらグレてもおかしくない一言だ。

 しかしこの時の俺はそんなことまで気が回らず、大声を出した事で限界を迎えて意識を失いぶっ倒れた。


 あれから数か月が経ち、いま現在。

「勇者のことが気になるんですか?」

「う~ん…」

 魔石を食べながら勇者襲撃事件の時の事を思い返している俺のことを、部下はどこか困ったような目で見てきた。

 俺があのスライム…勇者のことを気にするそぶりを見せているので心配しているんだろう。

 部下の懸念は確かに分かる。なにせ俺の母親は古竜『ペイルグレード』だ。竜は強欲な者が多く、俺も母親に似て懐に入れたものを抱え込む性質がある。

 自ら宝と認めたものを守ろうとする、それが一般的な竜の特性だ。

 俺にとっての宝は元々は自分の持ち物くらいのものだったが、魔王になった今は部下や国民もその中に入っている。年々重くなる宝の中に、さらに命を狙ってきた勇者も入るかもしれないなんて、部下としてみたら気が気でないのだろう。

 正直なところを言うと、部下の懸念はとても正しい。俺は勇者のことを気に掛けている。

 色々と調べまくったので、今の俺はあの小さいスライムの中身が勇者だということを知っている。…それどころか、戦いの時にどうして勇者が自爆したのかも知っている。

「もう一度聞きますけど、勇者のことが気になるんですか?」

 何も答えないでいると、ジトっとした目になった部下が再度問いただしてきた。

 俺は少々気まずい思いをしながら、当たり障りのない答えを返す。

「別に、気にならないと言ったら嘘になるだけさ。今の勇者は俺の核を受け継いでるんだし…」

「自分の子供ではないと言い張ったのは陛下でしょう。そもそもあれはドラゴンのウロコと陛下の核が共鳴して生まれたもので、陛下の意思など関係ない偶然の産物ではないですか」

「そ、そりゃそうだけど」

 現場や小さなスライムを色々と調べた結果、おおよその原因や経緯を判明させることができた。この事は俺の直属の部下にも周知されている。

 部下が言うように、あれはいくつもの偶然が重なって起きた奇跡のようなものだった。

 まず勇者はとびきり強力なドラゴンのウロコを持っていた。持ち主が死亡しても生き返らせることができるくらい強い力が込められたものだ。

 順当に戦っていたら蘇生の加護も正しく発動されただろう。けれど勇者は自爆してしまい、体は粉微塵に砕けて蘇生どころではなくなってしまった。

 普通ならそこで話は終わるのだが、すぐそばに行き場の無くなった強力な加護を受け止める存在があった。

 何を隠そう、この俺だ。

 スライムの父親、竜の母から生まれたこの俺は、スライムでありながら竜の力との相性がすこぶる良かった。特に俺の核なんて竜の力の触媒にはうってつけだ。

 蘇生する為の体がないなら、新しい体を作ればいい。ドラゴンのウロコに意思があったら、そう言っていたかもしれない。

 かくして俺の核はドラゴンのウロコの加護によって変質し、俺の意思とは完全に切り離された新たな核が作られることになった。

 ウロコの色を写し取ったような綺麗な青色の』。周りに形成される透き通った緑色の粘体。

 勇者の魂を定着させた、俺そっくりの小さなスライムの誕生だ。

 今の俺のそばに小さなスライムの姿はない。あれは知り合いの魔女に預けてしまった。

 手元に置いて育てることも考えたのだが、俺はとても弱っていて、更なる攻撃を警戒する必要があった。

 生まれ変わった勇者にもう一度命を狙われる可能性も普通にある。

 無理をして勇者を手元に置くための理由もなく、部下たちの反対を押し切る情熱もなく。ならばとそれなりに信用できる外部の存在に預けたのだ。

 ベルメリア・ウィンストンは、人間の国から迫害を受けて魔国に逃れてきた亜人だった。当人は自分のことを魔女だと自称している。

 彼女は魔法使いとしての腕もよく、錬金術師としての経験も積んでいた。彼女の手から生み出される様々な薬や魔道具は、魔国でもあまり見ないほど高品質で高性能なものが多い。

 俺は彼女と個人的な契約を結び、珍しい素材やさまざまな道具を献上させる代わりに出来る限りの支援をしていた。

 追われる彼女を匿うことはもちろん、研究に役立ちそうな道具や書物を取り寄せたりもした。時には俺自身の核を研究材料として提供することもあった。

 勇者の襲撃を受けた俺がいま元気に働けているのも、彼女がくれた薬や魔道具のおかげだ。

 彼女は小さなスライムを預けるには最適の人物だと言えた。

 何より決め手になったのは、彼女はスライムを育てた実績があるということだった。手のひらよりも小さいスライムを拾ってきて、その子を強く大きく育て上げたらしい。

 遠い土地の迷宮を守護させていると聞いたので、ちょうどいいとばかりに勇者の生まれ変わりを任せてみることにした。

 その際にこちらで調べたかぎりの勇者側の事情を話して、できれば心穏やかに過ごせるように取り計らって欲しいと頼んだ。

 勇者はある意味で彼女の同類だ。逃げて自由になったか、逃げられずに死んだかの違いしかない。

 それが分かったんだろう。彼女は事情を聞くと痛ましそうな顔をして、できるだけ静かで安全な環境を用意すると約束してくれた。

 魔女の目から見ると、勇者の魂はとても傷ついて見えるそうだ。傷が癒えるまで半年か一年か、いずれにせよ迷宮の隔離された部屋で過ごさせた方がいいだろうという話だった。

 あれから数か月。小さな勇者の傷は、どれくらい癒えたのだろう。

 生前から散々に傷つけられていた彼の魂を思う。

 まだ勇者ではなかった頃の彼は、この世界とは違う遠い場所から召喚魔法で強引に呼び出されていた。同時に感情の抑制と認識の歪みの呪いも魂に受けてしまった。

 偶然ではなく、呼び出した者が故意にやったことだ。人間至上主義の国───ベネリット国は、こうして魔王に対抗するための勇者を手に入れた。

 感情の抑制は、自分たちに逆らう事のないように。認識の歪みは、自分たちに都合のいい行動をするように。

 品行方正な勇者様。清廉潔白な勇者様。人身御供の、勇者様。

 勇者は自分が唱える呪文が、自爆の魔法だと最後まで気付いていなかった。

 魔石を食べながら物思いにふける俺に、部下がはぁ…とため息をはいた。

「…後でベルメリアに連絡を取りましょう。もうすぐ依頼した素材も集まるでしょうし、いい頃合いです」

「そ、そうか」

 どうやら気を使わせてしまったようだ。俺は少々の申し訳なさを感じながらも、小さなスライムの近況が聞けることに期待していた。

 そうして後日、さっそくベルメリアが来てくれたのだが…。

 彼女はたくさんのお土産とともに、たくさんの驚きを俺に与えてきた。

 まずは彼女の肩に乗っているスライムの存在だ。黒くてグネグネしているが、どことなく俺と似た雰囲気を感じてしまった。

「おまえ、そのスライム…」

「はい。以前に頂いた陛下の核から生成いたしました。子種に変換せず、子宮を使わず、純粋な核から新しいスライムを作る実験の成功作です。残念ながら他の2つは核のまま変化しませんでしたが…。この事を鑑みまして、名前は3号と名付けました」

 驚きの答えが返ってきた。

 詳しい実験内容については以前に報告書で纏めて送っておりますよ。そんな事を続けて言われたが、俺はまったくその実験については知らなかった。

 視線が黒いスライムに固定される。小さな勇者と同じくらいの小さな黒スライムは、俺に挨拶するようにウニョウニョと伸び縮みしていた。

 お前、知ってた?というように隣の部下の顔を見ると、シレっとした顔で「陛下は忙しそうでしたので、私共の方で資料の内容を把握して保管しておきました」と返ってきた。絶対にわざとだ。

 俺ははぁ…とため息を吐いて、ベルメリアの持ってきた素材や薬の一覧を見た。前回とほとんど変わっていない中で、ひとつだけ大きく変わったものがある。

「スレタ草の数が多いな。竜の生息域にでも出かけたか?それとも栽培に成功したか?」

 スレタ草は強力な聖属性を帯びた草で、解呪の効果や魂を癒やす効果があるとされている。竜の気を浴びるとよく成長するので、竜の巣の近くにはわりと群生している。

 ただ竜はとても険しい山脈や森の奥深くに住んでいることが多く、人や人型の魔族の足では探し出すことが難しい。なのであまり市場には出回ることがない草だった。

 実のところ、俺自身もあまり馴染みがない。母親の住んでいた場所は不毛の地だったので、植物自体が珍しいものだった。

「私が管理している迷宮の中で育ったものです。どうやら勇者の転生体がいたことで、元からあった株が増えたようなのです。おそらく勇者の転生体は無意識に自分の魂の傷を癒やそうとして、竜の気を出していたのでしょう」

「なるほどな…」

 あの小さなスライムは俺の核とドラゴンのウロコが合わさったことで生まれてきた。ならば俺よりも竜に近い存在になっていてもおかしくない。

 俺は外見上は冷静に納得しつつ、内面ではほんの少しそわそわしていた。惜しみなく献上できるくらいスレタ草があるのなら、小さなスライムの魂はだいぶ癒えているんじゃないだろうかと、そう考えたからだ。

「その勇者の転生体なのですが、どうやら魂の傷はすっかり癒えたようです」

「そ、そうか」

 考えていた通りの報告をされて、つい嬉しさを顔に出してしまう。コホンと咳をして取り繕い、気になっていた事を聞いてみた。

「その…、勇者の記憶は戻っているのか?」

「魂を見た限りでは、ある程度戻っている可能性は高いと思われます。しかし確証はありません。私は彼と直接言葉を交わしたわけではないのです」

「そ、そうか。テイムはしていないんだったな」

 テイムの契約を交わしていれば意思の疎通が可能になる。お互いに知能が高ければ言葉での交流もおこなえるのだが…。

 俺の言葉にベルメリアは頷き、「テイムは行っておりません」ときっちりと答えてきた。

「自由に過ごさせてやりたいというのが陛下のお望みでしたので。出来るだけ影響を与えないように私自身は下がっておりました」

「まぁ、それでいい。…で、勇者はまだ迷宮の隔離部屋にいるのか?」

 生前の勇者を思い出す。まっすぐで誠実そうで、静かな雰囲気だった勇者の姿を。

 迷宮の片隅で大人しく過ごす小さなスライムを思い描いていていると、ベルメリアは少し困ったような素振りを見せた。

「…その、叱責も覚悟で報告いたします。現在の勇者はとても健やかに日々を過ごしていますが、私の手元にはもうおりません」

「…は?」

「彼は迷宮を脱出し、とある少女の元に身を寄せています」

 言われた事がよく呑み込めないでいると、ベルメリアは「見て頂いた方が早いでしょう」と言いながら空中に魔法で像を出した。見ると草が生い茂った場所に小さなスライムがうにょうにょと蠢いている。

「これは迷宮の中の記憶を再現したものです。時期としては4号…失礼、勇者の転生体を預かってから一週間ほどでしょうか。次に二週間後、三週間後…」

 映像が次々に切り替わる。どれも似たようなもので、生い茂った草の間を小さなスライムが移動していたり、一生懸命草を食べたりしている。ただ時が流れるにつれてスレタ草の数が増えているのが分かった。小さなスライムも積極的にスレタ草を食べているようだ。

「二ヶ月後、三ヶ月後。そして、四ヶ月後…」

 草の間をびょんびょんと跳ねる小さなスライムに和んでいると、ある時急に小さなスライムの様子が変化した。

 何かに驚いたようにびょーんと跳び跳ねたり、混乱したようにジグザグに跳ねまわったり、終いにはぴたりと静止して動かなくなってしまった。

「この辺りで、彼は何かを思い出したようです」

「そうか…」

 小さなスライム…勇者の心の葛藤が伝わってくるようだ。しんみりしていると、また時は流れて小さなスライムが壁の穴から脱出しようとしていた。

「隔離されてる部屋なんじゃないのか?」

 思わずツッコミをしてしまう。するとベルメリアは申し訳なさそうな顔をした。

「恥ずかしながら、迷宮で得た力のほとんどすべてを植物の育成に回していた為、壁の修復が出来ていなかったのです。さらに勇者の転生体は自分の体で穴を広げたため、好きに迷宮内を移動できるようになってしまいました」

 当のベルメリアは俺に献上する素材集めで迷宮を留守にしていたらしい。その間、小さなスライムは迷宮をずんずん突き進んでいた。

 途中でコボルトと遭遇しては聖魔法でコテンパンにしていたり、ゴブリンと遭遇しては聖魔法でコテンパンにしている。

 更にぱたりと倒れた魔物の上にびょいんっと乗り上げた小さなスライムは、自らの力を誇示するようにその場でびょんびょんと跳び跳ねていた。

 そういえばヤンチャな子だったな…。俺は手のひらから抜け出して空高く跳躍した小さなスライムを思い出した。

 像は次々と切り替わる。迷宮内を進んでいる小さなスライム。隔離された部屋でスレタ草を食べているスライム。そして気絶しているらしい冒険者…の脇に置いてある鎧を覗き込むスライム。

「不適切な部分は省略しております」

「…?そうか」

 よく分からないが、必要な部分だけ抜き出しているということだろう。

 像の中の小さなスライムは、鎧に写った自分の姿をまじまじと見ている。

 スライムから魔族になったならともかく、人間からスライムになったなら衝撃は大きいはずだ。そう思いながら見守っていると、小さなスライムは中心に体を集めて自身の形を変えようとし始めていた。

 一瞬丸くなり、また不定形に戻り。もう一度丸くなり、また不定形に戻り。

 何度か繰り返して、疲れたようにぶるぶる震えて不定形に戻る。けれど心なしか前よりも丸くなっているような気がする。

「俺の…真似か!?」

 俺はその様子を見て、感動と衝撃のままについ声を出してしまった。すると部下が呆れたような顔を向け、小さな黒スライム3号が驚いたようにビョッと跳ね、最後にベルメリアが「おそらく違う理由でしょう」と冷静に反論してきた。

「普通のスライムの姿でいると、冒険者相手に余計な軋轢が生まれる可能性があります。それを避けるためにペットスライムのフリをする事にしたのでしょう」

「横から失礼いたします。…そもそも陛下、勇者は陛下の真の姿を知っているのですか?すぐに自爆したと聞きましたが」

「く…、それもそうか」

 何とずっと黙っていた部下まで参戦してきた。分が悪いと悟った俺は早々に引き下がり、黙って続きを見守る事にする。

 像は再び次々と切り替わり、俺にたくさんの小さなスライムの姿を見せてくれた。正確な時間経過は分からないが、少しずつ小さなスライムが丸い形に近づいていくのが分かる。

 とうとう楕円に近い形になったところで、ベルメリアが「もうすぐ少女と出会うはずです」と声をかけた。

 小さなスライムは迷宮内を一生懸命移動している。どうやら出口を目指しているらしい。

 そしてもうすぐ出口という所で、ひとりの人間の少女と遭遇した。

 それから先は、怒涛の展開だった。


「…驚いたな」

 すべてを見終わった俺は、素直な気持ちを口に出していた。

 小さなスライムはその体躯からは想像もできない強さと、それ以上の可能性を持っていた。

 進化を何段階も飛ばして一足飛びに魔族になるなんて、そんな器用なことは俺ですらしたことがない。

 しかもドラゴンのウロコを吸収したら一瞬で風の力を使えるようになっていた。まるで元からあった力が一気に解き放たれたようだ。

「このままの調子で成長されたら、生前の勇者を超えるかもな」

 冗談めかして言うが、半分以上は本気だった。これでもし魔王の命を再び狙おうとしているのなら、今度こそ俺も危ないかもしれない。

 沈めていた警戒心がほんの少しだけ浮かび上がる。けれどベルメリアは俺の心を読んだように、苦笑しながらこう言い切った。

「魔王陛下、ご安心ください。勇者の転生体…エランは、もう勇者ではないのです」

「───」

 彼女の言葉にはっとする。

 そういえば生前の勇者は、人間に影響の出ない魔物を執拗に退治することはなかった。逆に退治されかけていた幼い黒竜を助けたこともあった。

 感情の抑制と認識の歪みの呪いを受けてもなお、彼の優しさは漏れ出ていた。

 俺はそんな勇者を元から気に入っていたのだ。

「そうか、あいつはもう自由なんだな…」

 引き締まった空気が緩んでいく。明確な根拠もないのに、ベルメリアの言葉にホッとしている自分がいた。

 思えば自分が知っている勇者は呪いを掛けられた姿か、自我も曖昧になっている転生直後の姿しか知らなかった。

 本来の勇者はどういう人物なのだろう。俺は今現在の小さなスライムがどう過ごしているのか、純粋な興味が湧いてきた。

「迷宮を出た後のあいつはどうしてるんだ?たしか、女の子の元に身を寄せているんだったか」

「ペットスライムのふりを続けているようです。彼は少女のことが随分と気に入ったようで、片時も離れようとせず、眠る時も一緒のようです。先日家に招かれたときに色々と話を聞くことができました」

「へぇ、もう身元を確かめて接触しているのか。抜かりないな」

 俺が感心すると、ベルメリアは一瞬困ったような顔をした。

「これは本当に偶然なのですが、私は彼女の母親とは昔ながらの知己なのです。初めて知った時はさすがに仰天いたしました。とはいえ、これからも彼らの近況を探るのに都合のいい立場です」

 ベルメリアの言葉を聞いた部下が目配せしてくる。2人の思惑を読み取った俺は、鷹揚に頷いてみせた。

「任せる。大丈夫だと思うが、勇者周りで何かがあった時には報告してくれ。特にベネリット国と接触を持ちそうな時は最優先だ」

「かしこまりました」

 現状、ベネリット国は勇者の行方を見失っている。そのまま何事もなければそれでいいが、世の中何が起こるか分からない。用心するに越したことはなかった。

「…それにしても、勇者が他人と一緒にいても平気な性格とは思わなかったな。普段はどう過ごしているのかもっと詳しく知りたい。まだ時間はあるだろ?」

 これからの方針が決まったことで、俺は完全にくつろぐ気分になっていた。ほんの少し姿勢を崩して、引き締まっていた空気をわざと弛緩させてやる。

 部下をちらりと見て確認すると、仕方ないという顔で「まだ時間は十分にございます」と雑談することを許してくれた。

 それからしばらくの間、俺はベルメリアの話す勇者…、いや、エランと新たに名付けられた小さなスライムの話を面白おかしく聞いていた。

 それは赤髪の少女とスライムによる、何の変哲もない、けれど心温まるような日々の話だ。

 俺はその話を聞きながら大いに楽しんで、同時にほんの少しの寂しさを感じていた。

 手の中にいた小さなスライム。ぴょんと空高く跳躍したヤンチャなスライム。…彼の生に俺はもう直接は関わることはないだろう。

 こうして話を聞くだけで、満足しなければ。

 元気に迷宮を探索している姿を見たからか、俺は自分の中に得も言われぬ衝動が湧き出てくるのを感じていた。母性とか、父性とか、そういうものかもしれない。

 この行き場のない気持ちをどう処理するか。とりあえず仕事をして鬱憤を晴らそう。そう考えていると、プルプルと震えている小さな黒スライムの姿に気が付いた。

 彼は中心にギュッと力を入れて、緩めてを繰り返している。そういえば雑談を始める前から同じような動作をしていたかもしれない。

「どうかしたのか?3号」

 俺はここにきて初めて小さな黒スライムに話しかけた。黒スライムは驚いたようにビョッと上に跳ねると、オドオドしたように縮こまった。

 怖がらせてしまったかと眉を下げていると、ベルメリアは3号を撫でたあとに両手に乗せて、そっとこちらに差し出してきた。

「この子はエランと同じように丸くなろうとしているのです。ただ上手くいかないようでして…。差し支えなければコツなどを教えて頂けますか?」

「コツ?体の内側に力を入れて外周膜を中から引っ張る感じかな。俺はもう自然にしている事だから、上手く説明できないんだが…」

「十分です。練習を繰り返せば綺麗な形になれるでしょう」

 手のひらにいる小さな黒スライムは、優しい声に答えるようにウニョッと小さく蠢いた。

「なんだ、3号。勇者…いや、エランに憧れたのか?」

 迷宮の記憶の中で小さなスライムは少しずつ丸く綺麗な形になっていった。自分もそうなろうと奮起したのかもしれない。

 小さなライバル関係か。そう思い微笑ましい気持ちになっていると、小さな黒スライムは何か言いたそうにモジモジし始めた。

「何だ。どうした?」

「お話してもいいのよ、3号。魔王陛下に本当の事を教えてあげて」

 本当のこと?内心で首を傾げていると、小さな黒スライムが話し始めた。

【───おうさま、まおうさま、うれしそうだったから、まねしたの】

「おれ?」

【───るく、まるくなったら、まおうさま、よろこんでくれるかなって、おもったの】

「~~~!」

 その時の俺の気持ちを、なんて表現したらいいだろう。

 ヤンチャな小さなスライムとはまったく違う、でも同じくらい可愛らしい小さな黒スライムに、俺は自身の核を打ち抜かれた気分になってしまった。

 その日は休憩時間に食べるための高級魔石をすべて3号にプレゼントしてしまい、部下から怒られたのだった。